猫海1872(リアクション)

猫海1872

p.1~1

ページ1

 朝、執事が蒼白な面持ちで報告に現れた時、マーガレット・ライカーはいつものように本を読んでいた。
「お嬢様」
「何か?」
「メイドのリズが、闇鼠に襲われました」
「容態は?」
 マーガレットは冷静に問うた。
「見つかった時には、すでに事切れていたそうです」
 マーガレットの切れ長の目が、いっそう鋭さを増す。
「闇鼠の被害が、ついに我が家にも……」
 静かな声にはしかし、怒気がはらまれていた。
「イギリス貴族に連なるライカー家に喧嘩を売る意味を、思い知らせてさしあげませんとね」
 本を閉じ、すっくと立ち上がる。
「街へ出ます」
「いけません。危のうございます」
 執事が制する。マーガレットはそれを睨めつけ、
「この私が、鼠ごときに遅れを取るとでも?」
「いえ、滅相もない」
 令嬢の裏の顔、魔術師としての技量を知っている執事は、しばらく考えてから言った。
「お嬢様のご容姿は、この東洋の街では目立ちすぎます」
 マーガレットは淡白に応えた。
「良い標的になるでしょう?」
「ですが、せめて、護衛をお付けください」
「足手まといは要りません」
「有能な者を選んで参ります」
「――分かりました」
 マーガレットがソファに再び腰を下ろす。それを見て安堵の息をつき、執事は令嬢の前を辞去した。

 蝶州の昇華村塾と言えば、日本で知らない者はいないほどのエリート組織である。その中でも四天王の一人として数え上げられるのが、高杉 かようという男だった。各国の情勢を探るべく猫海に渡航した彼は、破魔戦士として名を挙げつつあった。
 白い衣に長身を包み、球と棍棒で戦う独特のスタイルは、否応にも人目を引く。
「面白きこともなき世を面白く、とね」
 そううそぶく彼の元に、英国貴族の執事を名乗る人物が現れたのは、ある昼下がりの事だった。
「高杉様のご高名を伺いまして、ぜひともお仕事をお願いしたく存じます」
 執事の言葉にかようはにっと笑い、
「スカウトか」
「左様でございます」
「ポジションは?」
「当ライカー家令嬢マーガレット様の護衛をお願いしたく」
「悪くないな」
 かようは口笛を鳴らした。相手は英国の名門貴族。うまく動けば、立場と金と情報とが、まとめて入って来そうだ。
「サインしよう」
「恐れ入ります」
 執事は深々と頭を下げた。

 その日の夕暮れ、執事は新撰組の屯所を訪れた。令嬢の護衛に隊士を派遣してほしいという依頼に、新撰組の副長は一人の隊士を指名した。
「異国のお嬢様の護衛ですか?」
 呼ばれた若い隊士、響 蒼留人は、困惑した表情を浮かべる。
「ああ、こいつぁ腕っぷしだけじゃ務まらねえ仕事だ。おめぇみたいな細けえくらいの性格の奴が向いてるんだよ。どうだ、やってくれるか?」
「ご命令とあれば、もちろんです」
 心酔する副長の言葉に逆らうつもりなど毛頭ない。仕事の内容には戸惑いがあったものの、蒼留人は二つ返事で引き受けた。それから思い出したように付け足す。
「ただ、一つ条件を出させてもらえませんか?」
「内容による」
「毎月の十五夜には、休みをいただきたいです」
「そうか。日取りとなると向こうさん次第だが、まあ、働き詰めで倒れられても困るだろうからな。無理な話じゃねえ。俺からも言っておこう」
「ありがとうございます」
 深く理由を聞こうとしない配慮が、蒼留人には有難かった。

 執事は一日の終わりに、黄 英図(こう えいと)探偵事務所を訪ねた。所長の英図に、闇鼠に関する調査を依頼する。
「もう少し具体的な話を聞こうか」
 英図は詳細を促した。
「闇鼠の拠点を探り、内部を調べていただきたいのです。当家のお嬢様は闇鼠と一戦交えるおつもりです。そのためにはまず、相手の情報を得なければなりません」
「お嬢様の火遊びにしちゃあ壮大だな」
 そう言いながら英図は考えた。
 彼は本名を新田 亮と言い、本業は大日本帝国の諜報員である。
 今ここで闇鼠の情報を手に入れておけば、母国から今後必要とされる事は間違いないし、仕事自体は英国貴族に繋がりを持つ機会にもなる。そういう意味では一石二鳥の好機だが、それを考えても闇鼠を相手の調査活動は、いくら練達の諜報員でもリスクが大きすぎた。
「もちろん、お礼の方は充分に」
 しかし最終的には、執事の提示した金額に乗せられたふりをして、亮は依頼を引き受けた。命懸けだが、放置すれば今後の諜報活動に影響が出る。彼の本業への忠誠心は揺るがなかった。

 予約してあったホテルの一室に着き、桜宮恵梨香【金剛 恵】は、そっとトランクを開いた。女性の一人旅用にしては大きく無骨なトランクの中には、機械装備兵である彼女が軍本部から護身用の名目で借りて来た最新兵器が収まっている。
「猫海は荒れてるって聞いたけど、コレを使う必要もあるのかしらね」
 そう独り言を言って、恵梨香はトランクを閉め直した。

 山田 勘三郎は夜の下町で湯麺の屋台を引いていた。食い物を扱っていれば、いざという時、自分が食うのに困らないだろうとせせこましい事を考えての商売である。
 辺境の実家で連綿と継がれてきた退魔の術も拳法も、勘三郎はろくろく身に着けていない。あるのは小器用な手先ばかりだ。
 今夜はここで店を広げようか。
 そう考えて屋台を止めると、程なくして、一人の女が向こうから歩いてきた。年の頃は二十代の半ばか。胸は大きく腰はくびれ、匂い立つような色香を全身から発している。足取りはふらつき、どうも酔っているようだ。女は勘三郎の屋台の前で足を止めると、ずいと顔を近づけてきた。
「一杯ちょうだいよ」
「へい、毎度」
 勘三郎はどぎまぎしながら丼を手に取る。
「お兄さん、何か武術でもやってる?」
 女がそう訊いてきた。急に何を言うのかと思って見てみれば、女は屋台にくくりつけてあった棍を興味深そうに見ていた。
「姉ちゃん、目が高いね」
 行きずりの客だ。適当に法螺を吹いてしまったところで構わないだろう。
「今は訳あってこの商売だけどよ、先祖は伝説の武術家だぜ」
「ふぅん」
 女は考えるように腕を組んだ。胸の谷間が重たげに強調される。
「じゃあさ、その腕、ちょっと貸してくれないかな?」
「うん? ああ、いいぜ」
 胸に見とれて鼻の下を伸ばしていた勘三郎は、でれでれと安請け合いをした。金にならない厄介事など本来ならまっぴらだが、今回は事情が違う。こんな上玉の女が相手なら、礼には期待できるというものだ。
「よし、決まりだ。あたしは癒雨【羽入 癒雨】。金華猫の道士よ。よろしくね」
「山田勘三郎だ。よろしくな!」
「ちなみに頼みたい仕事は闇鼠狩りね。成果次第じゃサービスもしてあげちゃうから」
 ね? と言って癒雨は勘三郎の手を取る。すべらかな手の感触に、仕事内容の危険さも忘れ、勘三郎は思わず答えていた。
「おう! やってやるぜ!」

 翌日の午後、執事が連れて来た二人の護衛、かようと蒼留人の顔を見比べて、マーガレットは、ふむ、と短く息をついた。
 この響サンという人、新選組ですか…まさかこのような場所で彼らの名を聞こうとは…運命を感じますね。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
「見られてるな、おい」
 かように肘でつつかれ、蒼留人はぶっきらぼうに応える。
「大方、この浅葱の羽織が珍しいんだろう。俺にはお前の方が妙な格好に思えるが」
「そうかな? メジャーでKを取るエースの格好だぜ?」
「高杉サン、あなたの英語はよくわからないので日本語で構いません」
「そう? 日本語もできるのか」
「行った事もありますし、勉強もしましたから」
 とある目的のために、という続きは口にせず、代わりにマーガレットは言う。
「二人とも屋敷には父が趣味で集めた日本の刀や手裏剣などもありますから、気に入ったものがあるなら使ってください」
「なるほどねー。ジャポニズムってやつ?」
「ええ、ジャポニズムです」
 日本の文化に興味がある事は、嘘ではない。
「じゃ、遠慮なく」
 先に立って屋敷見物に行ってしまったかようを、蒼留人は見送ってから、
「俺も屋敷を見させてもらうぞ」
「ご自由に。武器庫は離れの2階です」
「それは後でいい」
 蒼留人はマーガレットの態度に、微細な違和感を覚えていた。彼女は自分に何かを隠している。彼の直感はそう告げていた。
 しかし正面切ってそう指摘しても逃げられてしまうだけだろう。明白な証拠が必要だった。
「高杉様!」
 執事の慌てた声がした。マーガレットが声のした方へ向かい、令嬢の部屋には蒼留人だけが残された。
 ここが怪しい……。
 本棚の一角に目をつけ、蒼留人は思い切って数冊を引き抜いてみた。
 禁書か、魔道書の類か、と思ったそれはしかし、彼の想像のはるか及ばないものだった。
「これは!?」

 かようが足を止めたのは、離れの2階にある武器庫ではなく、ライカー家当主の居室だった。青ざめる執事をよそに、かようは高級ゴルフクラブや上質なステッキを振り回していた。
「どうも、スイングの感触が、違うんだよなあ」
 かようのフルスイングに耐えきれず、クラブもステッキも、どれも次々に折れていってしまう。
「高杉様!」
 そこへマーガレットが顔を出し、
「どうしましたか?」
「お嬢様! 旦那様のコレクションが……」
「私が使用許可を出しました。問題ありません」
「お、マガレ」
 かようは適当なあだなで令嬢を呼んだ。
「これ、良さそうだからもらうぜ」
「どうぞ」
 クリケット用のスティックだろうか、手頃な長さと太さの棒をかようは手に持っていた。
「響のやつもいいモン見つけたかな?」
「そう言えば、部屋に置いてきてしまいました。武器庫の場所は教えましたが」
 戻って来るまで部屋で待とうとマーガレットは言い、かようを連れて自室に戻った。
 そこにいたのは、本を手に茫然と立ち尽くす蒼留人だった。
「響サン…貴方は私の部屋で何を…そ、その本は!」
 蒼留人が手にしていたのは、令嬢の秘密のコレクション。彼女が日本に滞在していた時に京都の同志から譲り受けた、新撰組副長と一番隊隊長の濃厚な男色春画集だった。
「貴様、なぜこのようなものを!」
 我に返った蒼留人がマーガレットに詰め寄る。
「あ、そ、それは…父のです。ジャポニズムで」
「これはジャポニズムではない!」
 本を挟んで対峙する二人の間にかようが割って入る。
「まあまあ、よくわかんないけどその本がどうかしたのか?」
 かようはちらりと中を見て、遠い眼差しになり、
「俺と響で、こういう展開はナシな。それはさすがに依頼の範囲じゃないってことで」
「当たり前だ!」
 怒鳴る蒼留人を前に、その発想はあった、とはさすがに言い出せないマーガレットだった。

「カンちゃーん、お仕事だよ~」
 時刻は少しさかのぼって昼前の事。下町のしもた屋で寝ていた勘三郎を、癒雨が起こしに来た。
「勘弁してくれよ、夜遅くまで付き合わせといて」
 勘三郎はあくびをしながら、布団の中で不平をこぼした。付き合わされたと言っても、酒でもなければ遊びでもない。闇鼠退治である。棍を振り回しては、套路の身のこなしで攻撃を躱し、地道に闇鼠を退治してゆく。一緒に来てくれるだけマシとは言え、癒雨は人使いが荒かった。
 勘三郎が布団から出ずにいると、癒雨は布団をはぎ取り、抱きついてきた。
「つれないこと言わないでさぁ、ほらほらぁ~」
「うおっ、む、胸がっ、当たってっ!?」
 数分後、勘三郎は家から引きずり出された。
「さあ、今日もザクザク狩ってこーか!」
 ここにこうして来た以上、癒雨は勘三郎より短い時間しか寝ていないはずなのに、まったく平気なようだ。
「で、今日はどこ行くんだ?」
 あきらめ顔で勘三郎は訊く。逃げたら金華猫の祟りがあると脅されている身としては、せめて癒雨の「ごほうび」を目当てに働くしかない。
「闇鼠の巣。巣って言ってもいくつもあるんだけど、そのうちの一つだよ」
「それって、かなりやばい所だろ」
 たじろぐ勘三郎に、癒雨は平然とした調子で、
「まあね。あたし一人じゃ行かないかな」
 でも、と言って癒雨は勘三郎を見つめた。
「今ならカンちゃんいるから、行けると思う」
 勘三郎はごくりと生唾を呑んだ。
 この癒雨の態度は、期待していいんじゃないか?
 そう思った途端に勘三郎は元気百倍となる。
「ようし、行こうぜ!」
 それから裏路地を歩いて、小一時間も経っただろうか。廃屋の前で癒雨は足を止めた。
「ここの床下から行けるんだけど、今はタイミング悪いかもね」
「なんでだよ?」
「闇鼠同士が話してるみたい。味方呼ばれても困るし、ちょっと様子見にしようか」
 勘三郎はほっとした。いきなり巣の中まで攻め込まなくて済んだらしい。

 昨夜依頼を受けた後、亮はライカー邸を中心に式神を放ち、闇鼠の巣を探していた。屋敷のメイドが被害に遭った以上、巣が近くにあると考えたからである。
 夜が明ける頃、式神は巣の情報を持って来た。亮は午前中をかけて装備を整え、巣のあるという廃屋までやって来た。
 感覚を共有した虫の式神を操り、内部の構造を調べて始める。安全の為にはもっと離れていたいが、式神は行動が複雑になるほど操作範囲が狭い。満足のいく量の内部情報を得るには、相応の時間が必要だった。
 そしてやっと情報が揃い、そろそろ引き上げようかと思った時、事件は発生した。
『オマエ、何シテル?』
 人ほども大きさのある闇鼠が声をかけてきたのだ。
 クソ! コウモリの式神で俺の周囲を見張っていたにも関わらず、気づけないとはな。敵は隠密系の術が使えるのか。
 気を取り直し、亮は短時間で作戦を組み立てる。
 俺はフードを目深に被っているから、まだ人間だと気づかれていないはずだ。それなら幻術で闇鼠に化けよう。
 陰陽の術で亮は闇鼠に変化する。それから相手の闇鼠の口調を真似て、
『オレ、猫海ニ来タバカリ。ココデ一発当テタイ。仲間ニシテホシイ』
 すると相手はあっさりうなずいた。
『ソウカ、ナラ来イ。公主様ニ会ワセテヤル』
 公主? 闇鼠のボスか? こいつはいい仕事になりそうだ。
 亮は大きな手応えを感じた。

 2体の闇鼠が奥へと消えて行ったのを見送り、勘三郎は癒雨に訊いた。
「どうする? 今のタイミングじゃない方がよくないか?」
 できるだけ先延ばしにしたい勘三郎の言葉に、癒雨は少し考え、
「そうねー、今夜もう一度、ここに来るか」
「んじゃ、その間にごほうびタイムを……!」
 期待を込めて勘三郎は言ったが、癒雨はそれをあっさり躱した。
「後払いだよ。屋台の準備でもしてなさい」
 そう言って「また後でねー」と手を振り、立ち去ってしまう。
 残された勘三郎は、このままうまくごまかされ続けるような気がして、ふと不安になった。

 探偵が闇鼠について調査報告を持って来ます、と執事が言うので、マーガレットたちはしばらく、ライカー邸に足止めされる事になった。
 出入りの貿易商からかようが勝手に戦艦を購入してしまったり(後の大戦で大活躍し、平和になった猫海では観光船として皆に親しまれる事になる船である)、蒼留人が「今夜は十五夜なので休みがほしい」と言ってマーガレットに「初日からですか」と冷たい目で一蹴されたりと、細かい事件はあったが、おおむね平和だった。
 そして夕刻、ライカー邸に探偵が現れた。
 黄英図と名乗った探偵は、どう調査してきたものか、闇鼠の巣の詳細な見取り図を持って来た。
「これならすぐにでも攻め込めますね」
 マーガレットは満足そうに言う。それから探偵を見て、
「ついでです。今から道案内もお願いできますか?」
「別料金になるが」
「構いません。地図を見ながら行くよりは、一緒に来てもらった方が確かです」
 人を使うのに慣れた様子の令嬢に、探偵は大人しく従った。

 日の暮れた後、勘三郎は例の廃屋の前に戻ってきた。
 程なくして「カンちゃーん」と手を振りながら癒雨が現れる。隣には見た事のない若い女がいた。手には容姿と不似合いな、大型のライフル銃を持っている。
「えーっと、誰?」
「桜宮恵梨香ちゃん。いいモノ持ってるみたいだったから、スカウトしてきた」
「よろしくお願いします」
 癒雨とはまたタイプの違う美女だった。両手に花、と喜んでいられる状況でもないが、戦力が増えるのはありがたい。
「それじゃあ行こうか」
「へいへい」
 先頭に大火力の恵梨香、次にリーダーの癒雨、しんがりを勘三郎が務める布陣で、三人は闇鼠の巣へ足を踏み入れた。

 マーガレット一行は、勘三郎たちが中に入ってから数十分後に、廃屋の前に着いた。
「妙だな」
 英図が足を止める。
「中で銃声が聞こえる。それも大型の銃だ。闇鼠たちも騒いでいる」
「誰かいるってのか?」
 かようの問いに「ああ」と英図は応え、
「闇鼠は武器を使わない。銃を使っているのは人間だろう。どうやら別の連中が闇鼠狩りをしてくれているみたいだが、どうする? そいつらにまかせるか?」
「いいえ」
 マーガレットは探偵の案を否定した。武器であるパラソルを地面に打ち鳴らし、
「私の怒りを買った事は、私が思い知らせます」
「それなら、ご随意に」
 屋敷を出た時から、蒼留人が月の見えない曇り空をしきりに気にしているのが、英図はふと気になった。
 こいつ、何を隠している?

 恵梨香の大型ライフル銃から放たれる特殊弾丸と癒雨の呪符によって、巣の中は混乱状態にあった。勘三郎は二人の護衛として、近寄ってくる闇鼠を追い払っていればいい。
「闇鼠に正義の鉄槌を食らわせてやるわ!」
 そう意気込む恵梨香は、後ろの様子も気にせず、巣の奥へ奥へと進んでゆく。
 自分の安全も顧みない恵梨香に、勘三郎は最初「やめろ馬鹿、お人好し」と忠告してやろうかと思っていた。しかし彼女が勝手に戦ってくれて、自分が雑魚の相手だけしていればいい状況になったのを見て、忠告をやめた。
「あ」
 恵梨香が声を挙げた。
「どしたん?」
 癒雨が訊くと、恵梨香は気まずそうに、
「ごめんなさい。弾切れ、です」
「よし、撤退だ」
 癒雨の決断は早かった。
「巣が予想よりだいぶ深かったから、まずいなーとは思ってたんよね。ちょうどいい、今回はここまでって事で。カンちゃん、しんがりよろしくね」
「お、おい!? 待てよ!?」
 逃げる女性陣と追う闇鼠に挟まれた勘三郎は、必死で套路のステップを踏み、棍を振り回した。
 ここで死んだら、癒雨のねーちゃんとイイコトするチャンスもなくなっちまう!

 先頭に道案内の英図が立ち、その後ろでかようと蒼留人がマーガレットを挟む陣形で、一行は廃屋の床下から闇鼠の巣に入った。奥からの銃声は止んでいる。闇鼠に倒されたのか、単に弾切れでも起こしたのか。どちらにせよ、銃声の主が有利な状況に立っているとは考えにくい。一行は足を早めた。
「響、刀ってのはあれだな、存在意義自体に険があるな…剣だけに」
 かようは一人、余裕の様子で軽口を叩いていたが、対する蒼留人は張り詰めた態度を崩さず、話に乗っても来ない。
 少し歩くと道の分岐点に出た。
「右に行くと公主――地上にある奴らのボスの部屋に出られる。左は一般の闇鼠どもの巣だ」
「では、右に」
 迷わずそう宣言したマーガレットだったが、左の通路から大人数らしい足音が迫ってくるのに気づき、足を止めた。
 見れば女が二人と、その後ろから男が一人、大量の闇鼠に追われて走って来た。女の片方は手に大型のライフル銃を持っており、どうやらあれが銃声の音源だったらしい。
 すると、かようがマーガレットたちの隊列から離れ、逃げて来た3人と闇鼠の間に割り込んだ。
「こっちも放っておけそうにないな。どら、ここは俺がセーブしてやる。完全試合を見せてやろうか!!」
「高杉サン、ここは任せます」
 マーガレットと蒼留人は、英図の案内で右の通路に走り込んだ。

 英図の説明通り、右の通路は上り階段に繋がり、地上に出た。
「英図サン、なぜあなたはここまで詳しく調べられたのですか?」
「企業秘密だ」
 闇鼠に変化して、実際に内部を案内してもらった事は言わない。危険はあったものの、これは今後も有用な手であり、他国の人間に教えてやる必要はなかった。
 それよりも英図は、地上に出てから再び曇り空を気にしている蒼留人の方が不審だった。
 公主の居室の前には見張りの闇鼠がいる。片方を蒼留人の刀が斬り、もう片方をマーガレットの魔力を込めたパラソルが貫いた。
 目で互いに合図をし、扉を開く。部屋の中心の玉座に小柄な女性が座っていた。彼女は低い声でつぶやく。
「巣が騒々しいとは思っていたが、不躾な客だな」
 昼に会った姿を確認し、英図が言う。
「こいつが公主だ。言っておくが俺の仕事はここまでにさせてもらう。案内はもう終わった」
「ええ、それで結構です。私が手を下しますから、それでは、報いを受けてもらいましょう!」
 マーガレットが魔力の矢を放とうと身構えた、ちょうどその時、曇り空が晴れた。公主の間に月の光が満ちる。蒼留人が叫んだ。
「まずい! 俺から離れろ!」
 月光を浴びた蒼留人の全身が灰色の毛皮で覆われてゆく。そして一瞬の後、そこにいたのは、巨大な狼だった。
「響、サン?」
 マーガレットの集中が乱れ、魔力の矢が力を失ってゆく。公主が嘆息した。
「狼人間だったか。わたしを前にして余所見とは、軽く見られたものだな」
 公主は一気に距離を詰め、マーガレットに長い爪で斬撃を与えた。マーガレットが低く悲鳴を漏らす。
 しかしマーガレットは反撃する代わりに、武器であるパラソルを、本来の目的のように大きく広げた。パラソルで月光を遮ると、蒼留人の体が人間に戻ってゆく。
「死にたいのかね」
 なおも爪の斬撃を受け続けながら、マーガレットはパラソルを掲げた手を降ろさない。やがて、パラソルの陰で蒼留人は完全に人の姿を取り戻した。
「後は、頼みましたよ。飼い犬サン……」
「誰が飼い犬だ」
 静かに倒れたマーガレットを残し、蒼留人は公主に斬りかかった。
(狼のときの俺は任務を忘れる……この力、猫海のために使うことができるのか?)
 迷いを振り払うかのように一閃。公主ががくりと崩れ落ちた。
 マーガレットがよろよろと起き上がり、
「これで闇鼠に、一泡吹かせられましたね……」
「まだしゃべるな。傷は浅くないだろう」
 英図が手を差し伸べてきた。
「回復魔法の呪符ならあるが、人命救助となると、貸しは高く付くぞ?」
 マーガレットは強気に微笑んだ。
「ライカー家として、応じましょう」

 猫海に巣食う闇鼠たちが、これで一掃されたわけではない。しかし、その勢力が一つ削られた事は、確かであった。

【終】

あとがき


 小萩PLです。ご参加ありがとうございました。
 今回は「猫海1870」に比べるとコミカルなシーンが多く、参加者さんとアクションによって変わるものだなあと感じました。
 それでは、またの機会がありましたら!

p.1~1

  • 最終更新:2018-08-18 00:45:28

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